調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第54回
2019.9.28

製塩に使われた容器か

槽形木製品

今治市上浦町の多々羅製塩遺跡から出土した槽形木製品。塩づくりに使用されたと考えられている=古墳時代前期、県歴史文化博物館保管
 古代の人々が海水から塩をつくった製塩遺跡が多数存在する芸予諸島。その中でも今治市上浦町の多々羅製塩遺跡は発掘調査が行われた数少ない遺跡だ。
 多々羅水道に面し、多々羅岬に向かって伸びる丘陵の裾部に位置。周辺の旧河川と海浜漂流の堆積・浸食作用によって形成された砂州上(標高0.5~1.7m)に立地している。
 調査では、古墳時代前期の製塩炉2基のほか沼状遺構、自然流路、製塩土器を廃棄した遺構、土坑などが確認され、大量の製塩土器が出土した。
 出土遺物の中で注目されるものの一つに、「槽形(そうがた)木製品」と呼ばれる木製の容器がある。下層の沼状遺構で発見されたもので、樹種は分析の結果、ヒノキであることが分かった。また観察すると、ノミ状の工具で加工されている。さてこの容器には何が入っていたのであろうか。
 土器を用いた弥生・古墳時代の塩づくりは①高い濃度の海水(鹹水=かんすい)を得る「採鹹(さいかん)」②鹹水を製塩土器で煮詰め、結晶塩を得る「煎熬(せんごう)」③結晶した塩を焼いて、不純物を取り除く「焼塩」―という工程で行われた。
 近年、上三谷篠田・鶴吉遺跡(伊予市・松前町)の発掘調査で、この槽形木製品と類似した大きさ・形状のものが出土している。この遺跡では塩づくりは行われていないが、何らかの液体を入れた容器だと考えることができる。離れた遺跡から出土したことで、同時代にこの容器が一般的に使用されていたことが分かる。
 多々羅製塩遺跡から出土した木製品は内部分析などが行われておらず、どのように使用されたかは不明だが、中央部が長方形にくりぬかれている形状や、製塩遺跡から出土したことから、塩づくりに使用された可能性が高いと考えられる。
 恐らく、鹹水が入れられ、煎熬の工程で、製塩土器に注がれたのではないだろうか。資料を前に当時の人々の塩づくりの様子を想像してみてはいかがだろうか。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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