調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第60回
2019.12.22

檀家の重要な役割示す

太山寺参道茶屋の蓋付き椀

太山寺参道の茶屋「井筒屋」に保管されていた観音講の蓋付き椀。 1850(嘉永3)年の定め書きが記されている=県歴史文化博物館蔵
 四国霊場第52番札所の太山寺(松山市太山寺町)の参道には茶屋があったことが、江戸時代の案内記に記されている。かつては参道の下側から崎屋、布袋屋、木地屋、井筒屋の4軒の茶屋が並び、最上部の井筒屋は行き交う遍路の休憩や接待の場所として、また、遍路宿としても利用された。
 井筒屋の屋号は、庭にある御影石で組んだ井戸の井桁から命名された。軒先の板間で売られるこんにゃく、あんころ餅は太山寺の名物となっていた。春になると、近隣の村や忽那諸島(松山市)から来た人たちが、茶屋の軒先を借りて、小豆ご飯・うどん・餅・菓子・ちり紙・おさい銭などを遍路に接待することもあった。
 長年、太山寺の参道の風景に溶け込んでいた井筒屋であったが、2015年に老朽化のため取り壊された。その際、井筒屋にあった遍路宿に関する資料や三津観音講などの太山寺関係資料、生活資料の一部が県歴史文化博物館に寄贈された。
 その中で太山寺との関係を示すものを紹介する。「三津南大工町観音講中」の墨書がある木箱の中には、観音講で使用された漆器の蓋(ふた)付き椀(わん)が収納されている。箱蓋には、1850(嘉永3)年の同講世話方による定め書きがあり、20人前ぞろいの菓子椀の数が不足した場合は講元に過料を支払うことが記されている。また「あんころ餅」の接待で使用された漆器の菓子皿もあり、「イヨ太山寺」の朱銘が確認できる。
 これらの資料は、井筒屋が江戸時代以降、太山寺の檀家(だんか)として重要な役割を担い、近年まで遍路宿としてのみならず、四国遍路を地域で支える接待の場所としても機能していたことを如実に物語っている。

(専門学芸員 今村 賢司)

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