調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第72回
2020.6.23

シカ肩甲骨 焼いて占い

宮前川北斎院遺跡の卜骨

古墳時代初頭に使われたとされる卜骨の内側=県教育委員会蔵、県歴史文化博物館保管
 1983~85年に松山市の宮前川の河川改修工事に伴い発掘調査が行われた宮前川北斎院遺跡は、旧宮前川が形成した自然堤防とその後背湿地に営まれた遺跡である。そのため、有機質遺物の保存条件に恵まれており、数多くの木製品や骨角器(こっかくき)などが出土している。
 その中の一つに加工されたシカの肩甲骨がある。これは、焼け跡やひび割れの具合をみて吉凶を判断する占いに使われた骨で「卜骨(ぼっこつ)」と呼ばれるものである。
 本資料は、全長16.1cmのシカの右側の肩甲骨のうち、突起部などを部分的に除去し、外側から火箸のようなもので“焼き”をいれている。焼けた跡は、直径3mm程度の黒くこげた不整円形の二つの点として約5mm間隔で並んでおり、一つには縦断するように1条の細い亀裂が走っている。
 「卜骨」は、弥生時代から近世まで各時代の遺跡で見つかっているが、中でも弥生時代~古墳時代初頭の出土例が最も多く、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取市)や唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡(奈良県田原本町)など九州から関東までの50遺跡余りで確認されている。
 弥生時代の倭国(日本)について記録したとされる中国の歴史書「魏志倭人伝」(『三国志』「魏書」東夷伝倭人条)には、「其俗舉事行來有所云爲輒灼骨而卜以占吉凶先告所卜其辭如令龜法視火坼占兆」(其の俗挙事行来に、云為する所あれば、輒(すなわち)骨を灼(や)きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。其の辞は令亀(れいき)の法の如く、火坼(かたく)=焼けひびを視(み)て兆を占う)と、卜骨を使った占いについて記されている。
 ここでいう令亀の法については定かではないが、弥生時代とほぼ同時期の中国・漢の時代に、司馬遷によって書かれた「史記」のなかの「亀策列伝」に、亀の甲を焼いて行った占いの内容が記されている。
 それによると、病気、たたり、「伝染病の流行」▽頼み事、財物入手、売買、往来、在宅の是非▽盗賊の逮捕・偵察・襲来▽転任命令に対する退官の可否、官職にあることの是非、貴人拝謁▽豊作、大漁▽兵乱―などが挙げられている。
 果たして、何を占い、結果はどうだったのであろうか。

(専門学芸員 亀井 英希)

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