調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第74回
2020.7.28

弥生人 線や粘土で「顔」

分銅形土製品

松山市土居窪遺跡・砥部町水満田遺跡から出土した分銅形土製品=弥生時代中期、県教育委員会蔵・県歴史文化博物館保管
 「弥生人はどのような顔をしていたのだろうか?」
 瀬戸内海沿岸に分布する分銅形土製品は、この質問に答えを与えてくれるモノの一つである。全国で約900点以上出土し、このうち、95%が中国・四国地方で出土している。江戸時代の両替商で使用された秤(はかり)の重り「分銅」に似ていることから考古学ではこの名称で呼ばれている。
 県内では約130点が出土し、松山市文京遺跡を中心とした松山平野でほぼ半数の約60点の出土がある。分銅形土製品の中には人の顔を表現したものがあり、県内出土資料には本事例が多いことが特徴である。
 形の分類研究によると、形状が旧国単位で地域性があることが指摘されている。山口県では方形、岡山県では円形が多いとされている。愛媛県では方形、円形、隅丸方形がある。
 顔は線や粘土で表現され、目と口は線で表し、鼻と眉は粘土を貼り付け、耳は穴で表すものが多くある。県内出土資料を周辺地域と比較すると、目と口が曲線で描かれ、全体的に温和な表情をしている。おそらく、この土地に暮らした人々の感性を表しているであろう。
 写真中央の松山市土居窪遺跡出土資料は、眉を表現していた粘土紐(ひも)が剥がれて残存せず、目や口は表現されていない。上下に分かれて出土したものが接合して完形に復元することができる事例である。
 分銅形土製品の用途は明らかではないが、出土状況から用途の一端を推測することはできる。多くは上部と下部に割れて出土し、意図的に割ったと想定できる。先の事例のように割れたモノが近くで出土し、接合することもある。せっかく作ったモノを弥生人はなぜ割ったのであろうか。
 その要因の一つに、マツリ=祭祀(さいし)行為=として割ったことが想定される。後の飛鳥・奈良時代には木製の人形(ひとがた)を使用したマツリが行われたことが分かっている。分銅形土製品が人形や形代(かたしろ)のようなマツリに使用されたとする説も有力である。
 現状では、その用途は明確でないが、数cmの土のキャンバスに表現された弥生人の「顔」であることに間違いない。さて、弥生人は何を考えて、このような顔を表現し、なぜ割ったのだろう? 観察していると、次から次へと疑問が湧いてくる。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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