2014 年 2 月 のアーカイブ

中国四国名所旧跡図20 讃州屋島寺獅子岩より見る図

2月 28日 金曜日

屋島には複数の展望台が設けられているが、なかでも獅子の霊巌の展望台は一番人気で、現在では夕焼けから夜景までを連続して見る「ゆうやけい」を楽しむ人も多い。歩き遍路の西丈が訪れたのは安全な日中と思われるが、その絶景をスケッチに遺している。

瀬戸内海の一大パノラマが広がるなか、西丈が描いているのは高松市街の眺望である。上部に海に面した高松城、そしてその左側には瓦屋根のたくさんの町屋が描かれている。弘化4(1847)年に刊行された『金毘羅名所図絵』には、城の近くに武家屋敷が雲霞のごとくたくさんあり、市中は商家や職人の家が軒を連ねて活発な経済活動をしていると、高松のことが記されている。その文章にぴったり対応する描写となっている。

左側から手前にかけては田圃のような表現がされているが、これは塩田である。高松藩では宝暦5(1735)年に殖産興業政策の一環として、藩営により屋島の西潟元(にしかたもと)に塩田を完成させている。この塩田は亥年にできたことから、「亥の浜(いのはま)」と名付けられ、総面積28町余りの高松藩を代表する塩田となった。西丈が獅子の霊巌から見下ろした際にも、美しい入浜式塩田の姿が広がっていたことであろう。それは西丈が住む大和国田原本では見られない風景であり、当時の旅人が瀬戸内海を見て感じる特有の美しさでもあった。

当館では、企画展「四国遍路ぐるり今昔」が、2月18日~4月6日の会期で開催しています。本史料は展示されていませんが、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を多彩な資料で紹介しています。ぜひご覧下さい。

中国四国名所旧跡図19 讃州屋島寺獅子の霊岩図

2月 25日 火曜日

画面左から突き出す奇怪な形の岩。西丈お得意のデフォルメ表現。岩のはるか下には帆をたてた廻船が進んでいく。廻船の小ささが霊岩のスケールを一段と増す。西丈が描いたのは、84番札所屋島寺の西150m、高松港に面した断崖に突き出た岩で、その形が獅子の頭に似ていることから、獅子の霊巌といわれた。そういわれてみると、獅子が吠えている姿に見えてくる。

こちらは大正から昭和初期にかけての絵葉書。西丈の絵とほぼ同じアングルで写真が撮影されている。絵葉書と比べてみると、岩の形はそっくり。西丈の絵はデフォルメされているようで、その基礎に写実があったことがうかがえる。

獅子の霊巌が名所とされたのは、この奇怪な岩の形だけではなく、その眺望。弘化4(1847)年に刊行された『金毘羅名所図絵』にも、「此地より八ケ国を眺望して至つて絶景なり、故に八国が峯ともいへり」とその一大パノラマを絶賛している。西丈もこの美しい景色が気に入り、スケッチで遺しているが、それは次回紹介する。

当館では、企画展「四国遍路ぐるり今昔」が、2月18日~4月6日の会期で開催しています。本史料は展示されていませんが、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を多彩な資料で紹介しています。ぜひご覧下さい。

中国四国名所旧跡図18 讃州国分寺関ノ池図

2月 21日 金曜日

80番札所、国分寺の南にある関ノ池の図。降雨の少ないこの地域は溜池灌漑による農業が盛んで、溜池が日本一密集しているといわれている。溜池は小規模なものが多かったが、関ノ池はその中では大きなもので、堤高5.4メートル、堤長365メートル、有効貯水量34万7600立法メートルとされている。灌漑面積は16.1ヘクタール、高松市国分寺町国分・新居、坂出市府中地域を灌漑した。菅原道真が讃岐国守時代に詠んだ漢詩に記された蓮池が、この池ではないかとする説があるが定かではない。堤防が築かれて、現在のような池としての体裁が整ったのは、高松城を築城した生駒親正の時代で、慶長2(1597)年とされている。

関ノ池の背後には、霧に浮かぶように娘山、ハシノ山という二つの山が見える。娘山は讃岐七富士の一つで、御厩富士(みまやふじ)ともいわれる標高317メートルの六ツ目山のこと。娘山の右には「娘山人目の関をへたつ雰」、左には「秋風かむすめの山をかくさんときりにはたへとひとゑまかして」とあり、西丈は地名を巧みに織り込んだ俳諧と和歌を書き込んでいる。もう一つのハシノ山は、標高322メートルの「鷲ノ山」のことであろう。大部分が花崗岩で、頂上部には角閃安山岩が分布しており、古くから良質な石材を産出した山である。

平野部に突き出た霧に浮かぶ山と巨大な溜池。そして、溜池の畔に遍路道。西丈はそうしたこの地域の景観に感銘を受けて描いたのであろう。

関ノ池をほぼ西丈と同じアングルで撮影した現況写真。左側中央部に関ノ池が見え、その背後にきれいな山並みが続く。西丈が描く山の形が整っているのが気になっていたが、現地に行ってみると、西丈の絵にデフォルメはあるものの、雰囲気をよく捉えていることがわかった。目で見た風景を少ない筆で素早く捉える確かな技が西丈にはあった。

当館では、企画展「四国遍路ぐるり今昔」が、2月18日~4月6日の会期で開催しています。本史料は展示されていませんが、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を多彩な資料で紹介しています。ぜひご覧下さい。

企画展「四国遍路ぐるり今昔」開催しました!

2月 18日 火曜日

平成26年は四国霊場開創1200年とされています。

春のお遍路シーズン到来に先駆けて、当館では企画展「四国遍路ぐるり今昔」が現在開催中です。

この企画展は、四国八十八ヶ所霊場の今と昔の姿を、江戸時代の四国邊路案内記や四国遍路絵図、札所の境内図、明治時代後期~昭和初期の四国霊場を撮影した古写真、平成時代の八十八ヶ所の景観を鳥瞰図として細密に描いた、小亀博氏の「四国霊場案内図会」などの絵画作品など用いて、四国霊場や四国遍路の移り変わりがわかるように工夫して展示しています。

会場では、1番札所霊山寺から88番札所大窪寺まで四国八十八ヶ所霊場を順番通りに配置し、まるでお四国参りをするかのように、各札所の今昔の様子がぐるりと概観できます。また、今回初公開となる「四国巡拝大絵図」や、札所周辺で作成された四国遍路絵図や案内記なども展示しています(詳細は当館ホームページを参照www.i-rekihaku.jp/exhibition/index.html )。

お遍路さんはもちろんのこと、これから四国遍路を始めようとされている方、四国遍路の歴史に興味・関心がある方など、この機会に、当館の企画展「四国遍路ぐるり今昔」をご観覧いただき、本展が四国霊場、四国遍路の移り変わりや、四国遍路の歴史文化を考えるきっかけとなれば幸いです。