調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第4回
2017.8.23

伊予市に古墳 存在示す

三角縁神獣鏡

伊予市で見つかった三角縁神獣鏡の復元図(破片と京都府椿井大塚山古墳出土鏡を合成)=古墳時代前期、破片は県歴史文化博物館保管
 邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)が魏の皇帝からもらったともいわれる青銅製の鏡「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」。写真は、1969年に伊予市上三谷のミカン畑の一角にある祠(ほこら)の近くで見つかったもの。
 現在、約20片の破片が残っているが、同じ部分の文様の破片があることから同じ鋳型(いがた)で製作された同笵鏡2面分の破片と考えられる。復元した径は23cmで、同笵鏡は京都府の椿井大塚山古墳、奈良県の桜井茶臼山古墳からも出土している。鏡の背面の文様から正確には「三角縁獣文帯四神四獣鏡(さんかくぶちじゅうもんたいししんしじゅうきょう)」と呼ばれている。
 また、その後の聞き取り調査によって、祠から約40m離れた水田でも鏡片の一部が採集されていることが分かった。
 どうして畑の片隅に祀られた祠と水田から三角縁神獣鏡の破片が発見されたのであろうか。
 江戸時代後期の1786(天明6)年に近隣の嶺昌寺周辺が描かれた「嶺昌寺境内及び山林図」(当館蔵)には、この場所に古墳らしきものは描かれていない。また明治時代の地籍図や太平洋戦争後に撮影された空中写真にも古墳らしきものは確認できない。
 恐らく、かつてこの近くにこれらの鏡を副葬した古墳が存在していて、後世になって古墳を削った際、副葬されていた鏡も破片となってしまい、当時の人々が土地の神を祭る祠に納めたと考えられる。
 この伊予市上三谷周辺では古墳時代終末期まで首長の墓が継続して造営されており、本資料も当地域が伊予地域の首長の奥津城(おくつき)であったことを示す貴重なものである。
 なお三角縁神獣鏡は県内では、この上三谷で採集された2面の他にもう1面が今治市国分(こくぶ)古墳で発見されており、合計3面が確認されている。また全国的には列島各地の前期古墳から現在、約500面出土している。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

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