調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第7回
2017.10.5

東北ルーツの郷土芸能

小原五ツ鹿踊りの鹿面

西予市宇和町小原地区の秋祭りで使用されていた鹿踊りの面=1793年製作、小原五ツ鹿保存会蔵・県歴史文化博物館保管
 日本民俗学の創始者・柳田国男の「遠野物語」に岩手県遠野地方の「しし踊り」の歌詞が紹介されており、「まゐり来て此(この)もんを見申せや(中略)是(これ)ぞ目出たい白かねの門」とある。実はこれと共通する歌詞が西予市宇和町小原の五ツ鹿踊りにも伝承されている(「参り来てここのお庭を見申せば白金小草が足にからまる」)。
 「しし踊り」(「獅子踊」「鹿子踊」「鹿踊」)は岩手県、宮城県周辺に分布し、東北地方を代表する郷土芸能として知られているが、西日本では福井県小浜地方と愛媛県南予地方周辺にのみ継承されている。
 南予の鹿踊りは、江戸時代初期に宇和島藩主の伊達秀宗(政宗の長子)が宇和島に入部したことを契機に東北・仙台から伝えられたとされ、それが宇和島・吉田藩領内の各地に伝わった。このことから歌詞や衣裳は東北地方の「しし踊り」と共通する点が多い。
 本資料は西予市宇和町小原地区の秋祭りで使用されていた五ツ鹿踊りの面であり、2009年の調査で墨書を確認し、1793(寛政5)年に宇和島城下で製作されたことが判明した。それまで最古とされていた西予市城川町下相の鹿面(宇和島の森田屋礒右衛門の作)の製作年、1851(嘉永4)年より半世紀以上も古く、南予では現存最古の鹿面であることが確認された。
 この小原の五ツ鹿踊りは、宝暦年間(1751~64年)に、宇和島城下から伝習したことが地元の庄屋日記に記され、本資料の製作以前から鹿踊りが小原に存在していたと裏付けることができ、県内の民俗文化財として貴重といえる。
 約400年前に伊達家入部の関係で東北から南予に移住した人たちが、故郷を懐かしんで鹿踊りを宇和島の宇和津彦神社祭礼に採りいれ、それが広がって南予各地の神社の秋祭りでも踊られるようになったという。この東北ルーツの郷土芸能からは、地元目線だけではなく、広域的な視点で地域の文化資源を見る必要があることを教えられる。

(専門学芸員 大本 敬久)

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