調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第9回
2017.11.9

「高くささげる」意識

大型器台

松山市上野町の土壇原北遺跡で見つかった大型器台=弥生時代後期後葉、県歴史文化博物館保管
 この土器は高さ70cmもある大きなもので、鼓を立てたような形をしている。一見して用途は分からないが、上の平らな部分に何かを載せる形状をしているので、「器台」と呼ばれている。
 この器台が発見された松山市上野町の土壇原北(どんだばらきた)遺跡の周辺では、地面に穴を掘って埋葬した土壙墓(どこうぼ)という弥生時代の墓が約50基見つかっており、器台は墓での祭祀(さいし=マツリ)に使用されたことが推測できる。
 もう少し詳しくこの器台を見ると、エンタシス状の胴部に丸い透かし穴が7段に規則的に穿(うが)たれ、その間には沈線文という文様が施されている。また、口縁部には粘土を貼りつけた棒状浮文と竹を半分に割った半截竹管(はんさいちっかん)による列点文が施され、非常に装飾性に富んでいる。
 松山平野で器台が出現するのは、弥生時代後期前葉(約2千年前)のことで、当初は高さが20cm程度の小型のものだったのが、その後、数百年の間に高さ70cmまでに大型化していったのはどうしてだろうか。
 近年、松山インターチェンジ近くの北井門遺跡という集落遺跡でも、同じような大型器台が多量の壺などの弥生土器とともに発見されており、ムラでのマツリにも大型器台が使われたものと考えられる。つまり、墓やムラでのマツリにおいて「より高くささげよう」という当時の人々の意識が、大型器台を生み出したのではなかろうか。
 このような大型器台は県内で約90例が確認されているが、松山平野を中心に分布しており、伊予で成立したことがわかっている。また、類似したものが周防、豊後、豊前といった西部瀬戸内地域でも確認されている。
 なお、本資料を含めた4点の大型器台が、弥生時代後期の西部瀬戸内の弥生文化を象徴するものとして評価され、今年(2017年)3月に県指定有形文化財(考古資料)となった。

(専門学芸員 冨田 尚夫)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。