調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第14回
2018.1.25

人脈駆使し贈り主解明

星梅鉢紋入懐中時計

明治の初め、ポルトガル領時が松山藩知事に贈った懐中時計。内ぶたには「松山藩知事 久松隠岐守」などの文字が刻まれている=県歴史文化博物館蔵
 この懐中時計について、所蔵者から相談があり、調査のため借用したのは2016年12月。刻銘から1871(明治4)年に長崎のポルトガル領事が松山藩知事久松隠岐守に贈ったものと分かったが、領事の名前は飾り文字で刻まれ判読できなかった。藩知事の方は、13代藩主勝成(かつしげ)が隠岐守を、14代定昭は伊予守の名乗っていたことから勝成に特定できた。
 また時計自体の価値の評価のため各所に照会したが、類似品がない、鑑定できないと断られた。あきらめかけていた頃に、ある博物館から詳細な情報が届き、古時計を研究している団体からも近く例会があるから来ないかとの連絡があり、東京へ飛んだ。会員が見守る中、懐中時計の内部が開けられると「赤? 白?」の声が。「白」という答えに会場は色めき立った。軸受け部分にルビーが使われていたら赤、ダイヤモンドなら白と言うらしい。
 この時お世話になったのが、実は古時計の第一人者で、その後ご自宅まで伺い英文の参考文献のコピーもいただき、イギリス・マッケイブ社の最高級品であることを確認した。
 昨年(2017年)3月、寄贈の手続きを終え、贈り主の領事の特定にかかった。幕末期のポルトガル研究の第一人者から、坂本龍馬の海援隊が借り沈没した「いろは丸」を大洲藩に売ったロウレイロではないかとの見解をいただき、飾り文字もそう読めたが、裏付ける史料が見つからなかった。
 そんな時、伊予史談会の資料に何かあったような気がすると同僚学芸員が言いだし、元松山藩士・藤野海南が記した「海南手記」にたどり着いた。1866(慶応2)年に松山藩は「葡萄牙(ぽるとがる)領事廬列魯(ロウレイロ)」を仲介して英船「中山号」を購入していたのだ。これは勝海舟が各藩の軍艦を記載した資料とも一致した。
 借用から1年。ロウレイロと勝成の関係は未解明だが、ようやく展示に至った。人的ネットワークの大切さ、ありがたさを改めて思い知らされた次第である。

(専門学芸員 平井 誠)

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。