調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第33回
2018.11.10

瀬戸内海つなぐ姉妹船

みどり丸・すみれ丸

大阪別府航路の姉妹船として昭和初期に就航した「みどり丸」(上)と「すみれ丸」(下)のポスター=1928、29年ごろ、県歴史文化博物館蔵
 「みどり丸」と「すみれ丸」という船をご存じだろうか。この2隻は、大阪商船の大阪別府航路において就航していた姉妹船だ。今回紹介する資料は、この2隻の就航記念ポスターである。
 1928(昭和3)年にみどり丸、翌年にすみれ丸が就航し、瀬戸内海をつなぐ姉妹船としてデビューした。2隻が就航する以前は「瀬戸内海の女王」と称される「紅丸」と「紫丸」がこの航路で活躍していたが、観光ブームや豪華客船の人気で、旅行客の需要が増えたこともあり、増便され昼夜2便の運航が可能となったのである。
 この時には紅丸、紫丸、みどり丸、すみれ丸、屋島丸の5隻が大阪―香川―愛媛―大分をつないでおり、大阪別府航路の黄金時代を迎えた。
 みどり丸のポスターは、名前の通りバックが緑色で彩られ、大きく描かれた「新造優秀客船」みどり丸が印象的である。上部には「大阪別府航路晝(昼)夜二回便開始」の文字と航路図があり、愛媛では高浜港に寄港していた。
 一方の「最高級客船」すみれ丸のポスターカラーは紫、フォントもシックで、レトロなデザインである。
 2枚のポスターに共通するのは、観光客の誘致を別府に留まらず熊本まで広げているところだ。みどり丸ポスターの航路図では、大分・別府から熊本(熊本城)までの線路が記され、すみれ丸ポスターには「大阪熊本間船車聯(連)絡一直線」とある。大阪商船が各観光地へ多くの旅行客を送り込んでいたことがうかがえる。
 昭和初期の観光ブームを支えた姉妹船は、瀬戸内海の風光明媚(めいび)な風景を居ながらに満喫できる豪華客船として人気を博した。特にすみれ丸は1935(昭和10)年に、第21回全国中等学校野球大会で初優勝した松山商業の生徒が、愛媛へ帰る際に使用したという。愛媛の人々にとっても、大阪商船の船は身近なものであった。

(学芸員 甲斐 未希子)

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