調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第36回
2018.12.15

着物形 綿入りで暖かく

夜着コレクション

吉祥模様(桐に鳳凰)の染め模様が描かれた夜着。江戸後期~明治時代にかけて現在の大洲市肱川町で使用=県歴史文化博物館蔵
 冬の寒い夜をいかに暖かく過ごすのか。人々は「熱」を獲得、確保するためさまざまな工夫をし、囲炉裏(いろり)、火鉢、炬燵(こたつ)などの暖房用具を考案し、使用してきた。
 しかし、日本の伝統的な建築は暖房、保温の機能が乏しく、住居全体が暖められる構造にはなっていないため、暖房用具にも限界がある。そこで懐炉(かいろ)や湯たんぽなど個人が身につける保温用具も工夫され、これらは冬の生活の必需品となっていた。
 保温のためのさらなる工夫は、厚い着物や寝具を身につけることであった。
 古代から庶民の寝具にはワラ、ガマ、イグサなどを敷いたり、編んだりして使ったり、古布を再利用して敷具とし、掛具として着物を使うことが多かった。着物と寝具が未分化な時代もあったのである。
 江戸時代中期以降に、木綿棉(わた)を中に詰めた布団が普及し、それ以降、布団は寝具の代表格となったが、その形はさまざまであった。
 京・大坂など近畿地方では四角い布団が普及していくが、江戸時代以前の着物を掛具としてきた伝統から、着物の形をしている綿入りの夜着も発達し、布団が広く流通し、身近に購入できるようになった昭和初期まで全国各地で使われていた。
 県内では砥部町の「とべむかしのくらし館」所蔵の夜着コレクションが有名だが、本資料は大洲市肱川町大谷地区にて使用されていたもので全8点を収蔵している。寸法は裄(ゆき)77.5cm、着丈175cmと、かつての日本人の体格からすれば着物をふた回りほど大きくした形をしている。基本的には袖に手を通して寝るのではなく、これを体の上に掛けて使うと、四角い布団よりも体に密着するので、保温効果も高く、暖かく眠ることができたという。
 この夜着には鳳凰(ほうおう)と桐(きり)の模様が染め抜かれている。鳳凰は中国ではめでたい鳥とされ、桐の木に宿るといわれてきた。多くの夜着にはこのような縁起の良い吉祥模様が見られるが、これは寝ているときに邪悪なものを近寄らせない魔よけの意味も込められているのかもしれない。
 このように、暖房、保温の民具からは、先人が寒さといかに対峙(たいじ)し、厳しい冬を乗り越えようとしてきたのかがよく分かる。その知恵と技から学ぶことは今でも多い。

(専門学芸員 大本 敬久)

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