調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第75回
2020.8.20

田の一枚一枚まで描写

宇和島藩の測量図

真土村田方図面。東西136cm、南北286cmのうち、庄屋所付近を拡大した。個人蔵・県歴史文化博物館保管
 学芸員の仕事をしていると、一つの展示が呼び水となって、関連する史料の情報が寄せられることがある。博物館では一昨年(2018年)の秋に特別展「古地図で楽しむ伊予」を開催、その中で宇和島藩が作製したさまざまな測量図を展示したが、そのことがきっかけとなり、博物館が所在する西予市宇和町域から次々に情報が寄せられ、寄贈や寄託により新しく4点の絵図を収蔵することになった。
 一昨年の特別展では、宇和島藩の小川五兵衛、五郎兵衛という親子の測量家を取り上げ、2人が作製した村絵図を紹介した。それらは、いずれも田・畑・山・用水路や河川など、村における土地利用のあり方を色分けにして描いた測量図であった。一方、新たに収蔵することになった村絵図は、さらに細かく田の一枚一枚に至るまで描写しており、これまでの絵図と様式が異なる。
 掲載したのは真土村を描いた絵図の一部であるが、左上に大きく描かれている屋敷が、村の行政事務を行っていた庄屋所。その入り口には、格式を示すように長屋門が設けられている。中央に大きな母屋、周囲には多くの付属屋や蔵が取り巻き、背後には広大な屋敷林も見て取れる。庄屋所のすぐ右には宇和川が流れているが、そこには橋とともに流量を調節するための井堰が整備されており、用水を引いていた様子も描かれている。
 このように詳細な絵図は、いつどのように作製されたのであろうか。その点については、田苗真土(たなえまつち)村庄屋の古文書に関連史料を見つけることができた。史料には、1841(天保14)年に宇和両組(多田組、山田組)の田方図面の作製命令が宇和島藩から下り、小川雄八他3人が村々を測量して歩いたとある。つまり、これらの絵図は、宇和島藩が長年行った測量事業の最終段階に作製されたもので、小川家は五兵衛、五郎兵衛に加え、雄八という3代にわたり、その事業の中心的な役割を担っていたことが明らかになったのである。
 新しく収蔵した絵図は、テーマ展「宇和島藩の測量図」(2020年8月31日まで)で展示中。宇和島藩の測量技術の粋をぜひご覧いただきたい。

(学芸課長 井上 淳)

 真土村田方図面は、絵図・絵巻デジタルアーカイブに高精細画像で公開中。

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