調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第80回
2020.10.29

篠山参詣 賑わい物語る

四国徧礼(へんろ)絵図

伊予国内の遍路道(篠山道)で発行されていた江戸時代の四国遍路絵図。県歴史文化博物館蔵
 江戸時代に四国遍路が庶民に広がる中、四国遍路を絵図面で視覚的に紹介する様々な絵図が作られた。
 江戸時代中期の1763(宝暦13)年に大坂において刊行された細田周英の木版墨刷り折畳み式の大型の「四国徧礼絵図」は、現存する四国遍路絵図では最も古く、詳細な内容を誇るものとして知られている。
 今回紹介するのは、大坂や江戸といった都市部で作成した絵図でなく、四国遍路の舞台となる四国内、それも予土国境を進む遍路道の一つである篠山(ささやま)道周辺で刷られた一枚物(縦54cm、横39cm)の小さな四国遍路絵図である。
 刊記によると、版元は「伊予宇和島領颪部(おろしべ)村」(宇和島市津島町)の虎屋喜代助。彫刻は備前和気郡香登本村(かがとほんむら、岡山県備前市)の立蔵直貫とある。
 絵図の手前(下部)に鳴門の渦潮、阿波を配し、近畿地方から四国を見たような縦長の構図で、四国霊場八十八カ所とその道筋、札所間の距離、中央には弘法大師御影と四国遍路の由来などが記載されている。彩色された遍路道は、歩き遍路のルートが示されている。
 颪部村には、40番札所の観自在寺(愛南町)を参詣後、三本(中道、篠山道、灘道)ある遍路道のうち篠山道が通っている。三本は満願寺(宇和島市津島町)で合流する。本絵図では海岸沿いの灘道が太く描かれ、中道、篠山道は細道で、彩色された道筋は、灘道を第一に推奨し、篠山道を第二としているように見える。
 真念のガイドブック「四国辺路(へんろ)道指南(みちしるべ)」によると、篠山には観世音寺(観自在寺奥院)、天狗堂、三所権現、矢はづの池があり、周りの篠竹は諸病や馬の病気にも効くとして参詣人が持ち去るとある。初めての遍路は、篠山を参詣する習わしがあり、多くの遍路で賑わった。江戸時代から明治期にかけての納経帳には篠山を参拝しているものが多く見受けられる。
 本絵図は篠山参詣の遍路の土産物として作成されたと考えられる。絵図作成者の情報が記されており、遍路による篠山参詣が盛んだったことを示すとともに、四国内で発行された遍路絵図としても貴重である。

(専門学芸員 今村 賢司)

 四国徧礼絵図は、絵図・絵巻デジタルアーカイブに高精細画像で公開中。

※キーボードの方向キー左右でも、前後の記事に移動できます。