調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第87回
2021.2.20

昭和初期の実態を記録

四国霊場大観

昭和初期の四国霊場が一目瞭然となる「四国霊場大観」。写真は表紙(上)と「明石寺本堂」(下)。同館蔵
 戦前の四国霊場を記録した史料に、東外海村(現愛南町)蓮乗寺の弘法教会本部に設立された四国霊場大観刊行会編さん・発行の「四国霊場大観」がある。本書の前書きによると、「四国霊場八十八ヶ所の風趣を一目瞭然たらしめ、さながら四国霊場を巡拝した気分に浸り、これから巡拝せんとする人には絶好の指針となり、既に巡拝したる人には唯一の記念となると云ふ見地に立脚して編纂したるものなり」とある。
 構成は最初に弘法大師の略伝、総本山高野山金剛峯寺縁起、弘法大師御影、八十八カ所巡拝地図などを紹介する。次に全札所の本尊御影、御詠歌、納経、基本情報(所在地、最寄り郵便局、宗派、正式名称、本尊と作者、縁起、交通)、境内の写真などが詳しく紹介されている。納経は各寺院の住職の真筆で、札所を撮影した写真は約250点、全約600ページに及び、まさしく四国霊場の大図鑑の体裁となっている。
 当館に程近い西予市宇和町明石にある第43番源光山明石寺(めいせきじ・天台寺門宗)は通称「あげいしさん」と呼ばれ、本尊は千手観世音菩薩。本書によると、欽明天皇の勅願寺とされ、734(天平6)年に寿元という行者が熊野十二社権現を勧請し、822(弘仁13)年に弘法大師が再興したと伝えられ、その後、西園寺家や伊達家の祈願所となったことなどが紹介されている。
 写真からは昭和初期の本堂の姿が見て取れる。本堂は1890(明治23)年ごろに建立され、入り母屋(いりもや)造、正面に唐破風(からはふ)の向拝(こうはい)を付した重厚な建造物である。本堂前にのぼりが立ち、正面の扉は開放され、壁面には多くの奉納物が見える。境内の石垣は1930(昭和5)年に改修され、チャート系の大石を組み上げて築かれ、高度な石工技術がうかがえる。本堂、石垣など9件が国登録有形文化財となっている。
 本書は昭和初期の四国霊場の実態を示す記録として貴重であり、特別展「明石寺と四国遍路」(2021年3月14日まで)で展示中。他にも、明石寺の絵画、彫刻、古文書などの寺宝を特別公開している。

(専門学芸員 今村 賢司)

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