調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第91回
2021.4.17

耕地を村ごとに色分け

宇和島藩領色分絵図

「宇和島藩領色分絵図」。県歴史文化博物館蔵
 「宇和島藩領色分絵図(以下、色分絵図)」は、宇和島藩領があった宇和郡全体を描いた南北492cm、東西402cmの巨大な絵図である。その大きさから取り扱いが困難だったためか、絵図は破損により2枚に分離しており、欠損部分もある。絵図には「色分之御絵図弐枚之内 奉仕立上ル 八十嶋治右衛門/延宝四丙辰極月廿四日」の裏書があり、1676(延宝4)年の年末に八十島治右衛門により作製され、宇和島藩に提出されたことが明らかとなる。
 作者の八十島は、初代藩主伊達秀宗により取り立てられ、郡奉行兼務となった後、1670(寛文10)年から72年にかけて検地の頭取をつとめている。そして、領内の検地からわずか3年後、八十島に新たな任務が命じられる。宇和島藩領の姿を詳細に描いた領内絵図の作製である。
 八十島が作製した「色分絵図」は、領内の耕地が村ごとに色分けされているのが特徴となっている。同藩領の平地や盆地、海岸部に耕地が広く分布しており、寛文検地により把握した耕地をそのまま絵図に描き出したものと考えられる。
 村々の集落の位置は、家の屋根の記号で図示されている。一つ一つの村の中心部に短冊形の村形が据えられ、その内側には墨書で村名、朱書で村高が記載される。また村域が広い山間部の村や海岸部に点在する漁村については、本村のみならず枝郷や離れた耕地の名前までもが記されている。
 寺社堂庵を家の形の記号で示し、主要な寺社には名前がある。この一枚の絵図には、藩領全体の姿をはじめ、村々の生産力や地理的な環境、河川の流路や主要街道などが描き込まれており、八十島の優れた地図の作製能力がうかがえる。
 豊富な情報をもつ「色分絵図」からはいろいろなことを読み取れるが、一例をあげると江戸時代の遍路道が推定復元できる。山間部では、折れ曲がりながら急な坂道を一気に登り、そこからは、尾根道を進むことで最短距離を進むように遍路道が描かれているが、愛南町の柏坂を除くと、既に失われた道も多い。
 館では「色分絵図」を含む絵図117点と絵巻13点を紹介するデジタルアーカイブのインターネット公開が始まった。細密な描写を隅々までお楽しみいただきたい。

(学芸課長 井上 淳)

宇和島藩領色分絵図は、絵図・絵巻デジタルアーカイブに高精細画像で公開中。

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