調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第97回
2021.7.15

江戸期 南予文化の底力

亀気吹唐金花活

(右)亀気吹唐金花活 (左)「俳諧活花年賀集」の挿絵。亀の花生に水生植物のカキツバタの取り合わせ
 大亀の上に小亀が乗り、大亀の口からは漫画の吹き出しのようなものが突き出ている。なんとも不思議な置物で、一見しても用途が思い浮かばない。
 これらが収納されている箱には、「東翁斎/亀気吹(いぶき)唐金花活/釣り合小亀添/芙月斎」と墨書されている。この箱書きにより、本資料は「東翁斎」という職人がつくった唐金(青銅)製の亀の花生であったことがわかる。吹き出しのようになっているのは、亀が呼吸する息を表現している。その中に水を入れて花を生けるとは、なんともユニーク。
 箱書きを記した芙月斎とは、吉田藩三万石の御用商人を代々つとめた三引高月家6代目の古右衛門のこと。三引高月家は、叶高月家とともに法花津屋を屋号とし、吉田魚棚1丁目に本店を構え、宮野下、父野川に出店を設けて、紙問屋・海運業・金融業など多角的な経営を展開したが、なかでも和紙は瀬戸内海運を通じて大坂まで運ばれ、高月家に莫大(ばくだい)な利益をもたらした。そうした経済力を背景に、高月家は大坂・京都・長崎でさまざまな調度を購入したほか、歴代当主が文化活動にも熱心に取り組んだ。
 古右衛門は、芙月斎や虹器(こうき)の雅号で知られる地方文人で、生花・茶の湯・和歌・俳諧・香など幅広い分野で才能を発揮した。とりわけ生花は吉田先家流の一派をなし、400人余りの門人は、地域的には吉田陣屋町を中心に、吉田藩領の村々や土佐佐川に及び、身分的には吉田藩6代藩主伊達村芳を頂点に、吉田藩士、有力な町人や農民にまで広がっていた。虹器を中心とする文化サロンが、南予地域に形成されていたことになる。
 1813(文化10)年には、還暦を記念して、虹器は自らの諸芸の集大成ともいえる「俳諧活花年賀集」を出版している。もととなった自筆本には、文化サロンのメンバーの生花作品が挿絵として多く収録され、亀の花生も見いだせる。虹器の愛用品だったのであろう。こうした高月家の史料からは、江戸時代の地方文化の底力が感じられる。

(学芸課長 井上 淳)

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