調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第105回
2021.11.18

新造船2隻で誘客図る

大阪商船パンフレット

大阪商船パンフレット。1929(昭和4)年2月発行。
客船配置図は右から遊歩甲板、上甲板、中甲板。
 昭和の初め、大阪商船の別府航路に2隻の新造船が就航した。ディーゼル機関を搭載した「みどり丸」=1928(昭和3)年就航=と「すみれ丸」(1929年就航)の姉妹船である。それまでの「紅丸」「紫丸」「屋島丸」とあわせて5隻となり、1929年2月から毎日昼夜2往復の定期航海を開始した。今回紹介する資料は、その際に発行されたパンフレットである。
 本資料によると、2隻は総トン数1720t、全長256フィート(約78m)、速力16.5カイリ(約30km)で、上り下りとも夜便に配船された。発着地と今治・高浜の時刻は、下りが大阪発21時、今治発8時20分、高浜発10時40分、別府着16時。上りが別府発21時、今治発5時、大阪着16時。運賃は2等室で高浜―別府が6円、今治―大阪が9円。
 大阪商船が別府航路に新造船を投入した背景として、二つのことが考えられる。一つは1928年に豊肥本線(大分―熊本)が全通し、西九州と阪神が別府航路で結ばれたこと。もう一つは昼夜2往復となり、夜便は昼間に美しい瀬戸内を航海するようになったことである。連絡船としての利便性に、遊覧船としての魅力を加え、誘客を図ろうとしたのだろう。
 本資料には客室の定員や内装に関する案内のほか、客室配置図も掲載され、船内の様子がよくわかる。1等室(定員46人)は遊歩甲板の左右両舷にあった。2人用の洋室にはスプリングベッドが置かれ、天井や壁面は優美なシャンデリアやステンドグラスで装飾されていた。家族用の和室には床の間や違い棚があり、優雅な茶室を模した造りとなっていた。
 2等室(定員148人)は上甲板の後方、3等室(定員535人)は中甲板の前後にあった。1等室には和洋両式、2等室には和式の浴室が設けられていた。またデッキゴルフなどの娯楽設備のほか、ラジオ拡声器でラジオ放送や航海中の名所案内などを流した。
 船体の構造、設備、装飾において、連絡船としても遊覧船としても「内海第一の優秀船」だった「みどり丸」と「すみれ丸」。2隻の登場で、別府航路は大阪商船の看板航路となった。

(専門学芸員 平井 誠)

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