調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第121回
2022.7.13

高級品 仏教儀式で使用

真導廃寺の奈良二彩

真導廃寺出土の奈良二彩(右端…幅5.5cm、長さ6.5cm、厚さ0.8cm)。県教育委員会蔵、当館保管。
 日本列島では、約1万6千年前に縄文土器という素焼きの焼き物が誕生した。その後も素焼きの土器は、弥生土器や土師(はじ)器、須恵器と、時代とともに形をかえ存在していたが、7世紀ごろ、釉薬(ゆうやく)を人為的に表面に施した色の付いた焼き物が、新しく出現する。
 この新しい焼き物は、ケイ酸鉛を主成分とする釉薬が施された鉛釉陶器で、釉に固有の色を出させるための呈色剤に銅の化合物を加えると緑釉、同様に鉄化合物を加えると褐釉や黄釉、何も加えないと透明釉(白釉)になる。はじめは、1色(単色)のものが多かったが、8世紀になると2色以上(多色)のものが多く見られるようになり、一般的に釉薬の色の数で、「単彩」「二彩」「三彩」と呼ばれている。
 奈良二彩や三彩は、一見、中国の唐三彩と色調が類似しているが、これまでの研究により、唐三彩とは鉛の原材料、胎土、焼成温度が異なっており、造形意匠も、同時代の日本の日常雑器であった土師器や須恵器に似ていることから日本国内で作られたとされている。
 本資料は、緑と黄の釉薬が施された奈良二彩の一部で、国道11号に架かる加茂川橋の南約1km、加茂川左岸の河岸段丘上にかつてあった真導廃寺(西条市中野)の発掘調査で見つかったものである。この付近では、昭和初期に布目瓦が採集されており、古くから地元の研究者等により寺院跡の存在が推察されていたが、1974(昭和49)年に浄水場が建設されることとなり、翌年発掘調査が行われ、奈良二彩とともに寺院の屋根を飾っていた瓦が出土したほか、基壇の一部や柱穴群等の建物跡も見つかった。
 真導廃寺出土の奈良二彩は、器形は不明であるが、仏教儀式に使用されたと考えられる高級品で、今のところ県内に類例がない。奈良時代後半、本寺院がこの地域の文化面において重要な役割を果たしていたことをうかがい知ることができる。

(専門学芸員 亀井 英希)

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