調査・研究えひめの歴史文化モノ語り

第128回
2022.10.29

桜の名所 巡拝にぎわう

写し霊場「篠栗新四国」

「改正新刻新四国八十八カ所案内図」、1903(明治36)年、県歴史文化博物館蔵
 江戸時代以降、庶民による四国遍路が盛んになると、各地で四国八十八カ所を模倣した写し霊場が数多く誕生した。身近な地域に作られた写し霊場は、数日や数時間で巡拝できるため、実際に四国遍路を行うことができない人々の願いをかなえた。
 四国八十八カ所の写し霊場は、所在する地名などを冠して「◯◯新四国」「◯◯地四国」「◯◯島四国」などと呼ばれる。
 今回紹介する資料は明治時代後期に作成された篠栗(ささぐり)新四国の案内図である。福岡県篠栗町にある篠栗新四国は、香川県の小豆島、愛知県の知多新四国と共に「日本三大新四国」の一つに数えられ、多くの参拝者が訪れている。
 篠栗新四国の歴史は、1835(天保6)年に尼僧慈忍(じにん)が四国遍路の帰路、篠栗村に立ち寄り、村人が疫病・飢餓に苦しんでいたのを知り、弘法大師に祈願して病魔を退散させ、この地に弘法大師の霊場開創を発願したことに始まる。慈忍没後、その遺志を受け継いだ藤木藤助らが四国遍路を行い、各札所の砂を持ち帰り、1854(嘉永7)年、八十八カ所の本尊を安置し、砂を納めたと伝えられる。
 案内図を見てみよう。自然に囲まれた山あいに札所が点在し、遍路道沿いには滝や渓谷があり、幽邃(ゆうすい)な霊気をただよわせている。札所は番号(赤印)と地名が記載され、複数の札所を兼ねている寺院もある。第1番南蔵院は、図の中央上あたりにやや大きく紹介されている。篠栗霊場の玄関口となる篠栗駅周辺には蒸気機関車や人力車、巡拝者でにぎわう様子が見て取れる。
 篠栗は桜の名所としても知られ、本図は全体的に淡い紅色で彩色され、巡拝シーズンとなる暖かく美しい春の篠栗新四国の情景が描かれており、多くの巡拝者が土産として買い求めたものと思われる。

(専門学芸員 今村 賢司)

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