先日、新聞社からある資料のことで、取材を受けました。2年ほど前の展覧会で、その資料を当館で借りて展示したためでした。記事は既に掲載されましたが、短いコメントなので資料の価値について伝えることができたのか不安も残りました。そこで、ブログの場を借りて、もう一度その資料のことを思う存分に紹介してみたいと思います。
取材があった資料とは、宇和島自動車株式会社が所蔵している吉田初三郎の肉筆の鳥瞰図で、画面の右上に「宇和島自動車株式会社路線大観図」とタイトルが記されています。戦後の昭和28(1953)年の製作。大きさは縦116センチ、横343センチで、額装されています。
同時期に宇和島市が初三郎に依頼した鳥瞰図が、宇和島市街を中心に描いているのに対して、宇和島自動車が依頼した鳥瞰図では、当時のバス路線を反映して南予を中心として、東は松山・高松から東京まで、西は別府、南は室戸・足摺岬までの広域が描かれています。霊峰石鎚山が画面中央の一番高いところにそびえ立っているのは、四国の人間としてはうれしい表現。宇和島自動車のバス路線が示されていて、路線をたどりながら絵の中で周辺の観光地めぐりが楽しめるように工夫されています。
展覧会後に、館蔵品である地理学者村上節太郎が収集した資料を整理していたところ、この肉筆をもとにして宇和島自動車が印刷した観光パンフレット「観光の南伊豫」が見つかりました。その表紙には和霊神社と雪輪の瀧が描かれ、裏面には「山と海の景観に恵まれた情緒溢(あふ)れる南伊豫の旅」というキャッチコピーが躍っています。また、初三郎自身は「絵に添へてひとふで」において、「南伊豫全地域」にわたる景勝山河の大風光裡、本社バスの交通と、観光の一大文化記録画と記しています。

観光の南伊豫(表紙)
吉田初三郎は、大正から昭和にかけて全国の観光地を宣伝する鳥瞰図を2000点以上制作していますが、宇和島自動車のものは初三郎の本格的な肉筆の鳥瞰図として最晩年の作品に当たります。既に老齢の初三郎はその作成にあたり、戦前の陸軍陸地測量部の精密地図と写真により下図を作成しました。そして、昭和28年に32年ぶりに現地入りして鳥瞰図を完成させました。大胆なデフォルメ、地形を大きくゆがまさせて描く変幻自在な作風は、本作品の特徴としても見出せます。初三郎が描いた愛媛県内の鳥瞰図は15点ほどと考えられますが、そのうち肉筆は、本資料以外に昭和14年の八幡浜市鳥瞰図、宇和島自動車と同じ昭和28年の宇和島市鳥瞰図しか確認されていません。初三郎最後の大作として貴重なものといえます。

観光の南伊豫(部分)