ことわざになった道具たち―その7―管をまく

2009年1月12日

管
「昔の道具の謎をとけ!」展に展示中の杼(ひ)と管(くだ)
 
布を織(お)るときに、横糸を入れる道具を杼(ひ)といいます。杼の中には横糸を巻いた管(くだ)が入っています。管に糸を巻くときに使う道具が糸巻(いとま)き車です。

管に糸を巻く
管に糸を巻きます。

管を巻く
糸車で糸を巻いていきます。

糸巻き車をまわすとブンブンと音がします。この音からお酒に酔ってつまらないことをぶうぶう、ぶつぶついうことを「管をまく」といいます。
管はあまり目にすることはなくでも、「管をまく」という言葉はよく使われているのではないでしょうか。

例 もうお父さんたら、お酒飲んだらいつも管まくんだから、いやんなるな。

号外「怪人れきはくの謎」6

2009年1月11日

怪人れきはく 昔の道具

「初代怪人れきはく」は明治35(1902)年に愛媛県東宇和郡に生まれたらしい。家は代々ちょうちんの職人だった。幼いころから家業を手伝い、14歳にはすでに一人前の腕になっていた。

15歳になったときに学問を志し、周囲の反対を振りきって、東京に出る。宇和島の親類を頼って上京したのだ。そのときに、同じ宇和島出身の穂積博士という法学者と知り合うことができた。

穂積博士は、実は「初代」がちょうちん職人の技を見事に身につけていることを知り、親交のあった渋沢氏に紹介する。

渋沢氏は、その時代、著名な財界人でもあり民俗・民具に造詣の深い人物だった。後の民具研究の基礎を築いた人物でもある。「初代」はこの渋沢氏と出会い、職人技術のすばらしさ、大切さを聞くことによって、自らが持っている「技」と「文化」の価値に初めて気づいた。大正時代のことである。

「初代」が19歳のときに、渋沢氏は全国の民具をあつめて自宅にミュージアムをつくる。そのあつめる作業に「初代」は参加することができた。その活動によって、「昔の道具」の知恵や工夫に感心したようだ。

その直後、「初代」は何の縁かわからないがヨーロッパ・ドイツに留学し、博物館に日常の生活道具が収集され、保存、展示されていることに驚いたという。しかしその後の彼のヨーロッパでの足跡はよくわかっていない。

日本に帰国したのは昭和39(1964)年。ちょうど東京オリンピックが開かれた年。突然の帰国だった。聞いたところでは、そのころに日本、特に都市部の変容ぶりが現地ヨーロッパのテレビで取り上げられ、それを見て衝撃をうけたという。そして、即、帰国したらしい。

久々に日本の地を踏んだ「初代」は、日本の生活スタイルの変化にとまどいつつも、自分は何をすべきなのか、自問自答していたという。

その後の「初代」の日本における足跡をここでは明かすことはできない。いつ亡くなったのか、その原因が何だったのか、この点はメールで聞いても、かたくなに教えてはもらえなかった。

メールの最後には、祖父「初代れきはく」が常に語っていたメッセージが書かれていた。孫はこの言葉をいつも胸に秘めているという。

「人間は道具を使ってこそ人間である。道具に感謝し、道具を知るべし。」
道具に使われる人間社会への警鐘である。

(この話はフィクションです。)

号外「怪人れきはくの謎」5

2009年1月10日

怪人れきはく 昔の道具

なんと、昨日、愛媛県歴史文化博物館に、「怪人れきはく」からメールが直接届いた。
この博物館のホームページを普段からチェックしていたらしい。
連日、ブログで「怪人れきはくの謎」を紹介しているのを見て、本人自ら連絡してきたというわけだ。

メールの内容はくわしくは紹介できないが、こちらから返信をして、何度かメールのやりとりをすることができた。
以下は「怪人れきはく」から明かしてもよいという承諾をもらった彼の経歴である。

「怪人れきはく」の経歴

生年月日  昭和60(1985)年9月22日。

くしくも昭和60年9月22日といえば、「プラザ合意」(G5:先進国首脳会議による為替レートの合意)が発表された日である。これは、日本のバブル経済とその後の長期的不況「失われた10年」のきっかけともいわれるが、まさにその日に誕生したというのである。

昭和60年生まれなので、現在23歳。若い男性であることは間違いない。

メールで、昭和40年代にあらわれた「怪人れきはく」との関係を問うてみたが、当然、同一人物ではないとの答え。やはり年齢が違いすぎる。

しかし、昭和40年代の「怪人れきはく」の正体は、12月19日付けのブログ「光と影 第二話」の中で、書かれていた祖父「初代怪人れきはく」のことだと教えてくれた。

何をきっかけに、祖父の「初代怪人れきはく」を引き継いで「怪人」を名乗っているのかも明かしてくれたのだが、ここで紹介するのはやめてほしいと頼まれた。
そのかわりに、祖父の「初代怪人れきはく」について詳しく教えてくれた。(つづく)

(この話はフィクションです。)

羽根つきで真っ黒!

2009年1月9日

 あけましておめでとうございます(^^♪
 本年もよろしくお願いします<(_ _)>
 平成21年の仕事始めだった1月4日(日)、博物館では新春イベントを開催しました。当日は、お正月遊びにちなみ、無地の羽子板に絵付けしてオリジナルの羽子板をつくる「マイ羽子板であそぼう!」と、白木のコマに色をつける「コマに絵付けしてみよう!」を実施し、125名の方が参加してくださいました。

 できあがった羽子板を使って、エントランスホールで羽根つきをしました。

 中には、真剣勝負をしていたのか、顔に墨を塗っている人も…。

 墨を塗っている方も塗られている方も何だか楽しそうですね~。

 ※この日は館の職員の中にも、顔を真っ黒にされていた人が数名いましたが、本人のプライバシーに配慮し、掲載はさしひかえさせていただきました。

ことわざになった道具たち―その6―青は藍より出でて藍より青し

2009年1月8日

今回のことわざは藍染めについてです。
布を青色に染めるには、藍(あい)という植物を使いました。

藍の葉
藍の葉

ですが、元の材料の藍よりも染められた後の青色がより青いことから、「生徒が先生よりも優(すぐ)れている」というたとえに使います。

染めた布を干す様子
染められた布

例 かわいい教え子が素晴らしい賞をとって、まさに「青は藍より出でて藍より青し」の気持ちです。

号外「怪人れきはくの謎」4

2009年1月7日

怪人れきはく 昔の道具

昨晩、東京に住む民俗学者の某先生から唐突に電話があった。以前、国立の歴史系研究機関に勤めていた経験のある先生だ。

その先生曰く、「怪人れきはくが、再びあらわれたのか・・・。」

なんと、かつて政府のある機関にも「怪人れきはく」からメッセージがひんぱんに届き、困惑したことがあったというのだ。その時期は昭和40年代だったという。

「たしか、昭和41年頃に政府が、明治100年(明治維新から百年目、昭和43年のこと)を記念する事業を計画していて、何回も『怪人れきはく』と名乗る人物から、その事業の一環として、全国の民具・民俗を集めて、保存・伝承することを要望した文書が、政府の関係機関に届いていたんだよ。」

しかし、その要望書は差出人不明の扱いとされ、取り上げられることはなかったが、「怪人れきはく」という不思議な差出人名だったので、よく覚えているとのことだった。

「要望書の中身は、高度経済成長期で、日本列島改造論も打ち出され、機械化されている世の中で、それまでの生活道具を破壊し、消し去っている世相を嘆いたものだったような・・・。」

先生は、記憶をたどりながら「怪人れきはく」について教えてくれた。

今から30~40年も前に、「怪人れきはく」がメッセージ性を帯びて、活動していたのは間違いない。愛媛の地元新聞への投稿記事も内容から察すれば、同一人物だろう。

(この話はフィクションです。)

ことわざになった道具たち―その5―一寸先は闇・一寸の虫にも五分の魂

2009年1月5日

1月4日に行われた「昔の装具★ミステリーツアー」では、なんと怪人れきはくが登場しました!
うわさでは握手会と記念撮影会も行われたとのこと・・・
「昔の道具★ミステリーツアー」は11日(日)にも開催されます。
どうぞお見逃しのないよう・・・

一寸先は闇
一寸先は闇(やみ)
一寸の虫にも五分の魂
一寸の虫にも五分の魂(たましい)
(いずれもイラスト 菊池安希子)

一寸(すん)も五分(ぶ)も、昔使われていた長さの単位のことです。一寸は約3.03cm、五分は一寸の半分になります。
ですので「一寸先は闇」ということわざは、一寸というちょっと先でさえ何があるかわからず、真っ暗であるということから、未来のことは誰にもわからない、という時に使います。
「一寸の虫にも五分の魂」は、一寸という小さな虫にも体の半分も魂があるということから、小さいから弱いからといってばかにしてはいけない、という意味です。
今のものさしには、今使われている長さの単位、cmやmmで長さが刻まれています。昔のものさしにも当時使われていた単位である寸や分の長さで刻まれています。ちなみに一寸の10倍が一尺(しゃく)、一尺の6倍が一間(けん)になります。
ものさし
「昔の道具の謎をとけ!」展に展示中のものさしです。
寸と㎝の両方が刻まれています。

例 あの政治家が逮捕(たいほ)されるなんて、一寸先は闇だなあ。

号外「怪人れきはくの謎」3

2009年1月4日

怪人れきはく 昔の道具

「怪人れきはく」・・・・。なぜに「怪人」にふん装してあらわれなければいけないのか?

今回の「怪人」は、「妖怪」や「怪獣」のたぐいではなくて、明らかに人間が変装している。

普通、「怪人」とは、まわりが名づけるものだとも思うのだが、「怪人れきはく」は自分で「怪人」を名乗っている。少し不思議にも思う。もしかしたら、ここに彼の正体をさぐるヒントがあるかもしれない。

念のため、漢和辞典で「怪」を調べてみた。
すると、「怪」という字が、もともと「恠」と表して書くことがわかった。
「りっしんべん」に「在」という漢字。つまり、この字は「心の中に在る」という意味とも解釈できる。

もしかしたら「怪人れきはく」は、何か強い意志もしくは使命を心の中に抱いて行動しているのかもしれない。

その強い意志・使命とは何なのか?
やはり挑戦状に書かれていた「昔の道具の魅力」を広く知ってもらいたいということか?

それにしても、32年前の新聞に出ていた「怪人れきはく」の文章とも符合しているので、これをどう考えればいいものか、謎はまだまだ解明できない。

(この話はフィクションです。)

号外「怪人れきはくの謎」2

2008年12月28日

怪人れきはく 昔の道具

「怪人れきはく」リサーチ班から情報が届いた。
以前、学芸員が、博物館で保管している古い地元新聞を整理していたところ、
「生活道具を次世代に伝える」という短い投書記事を見つけてスクラップしていたというのだが、その記事に興味深い点が・・・。

新聞の日付は、昭和51(1976)年1月4日。

内容は以下のとおり。

機械化の進んだこの世の中、炊事、洗濯に掃除などの衣食住だけでなく、車などの交通手段、農業・漁業の動力化。生活のすみずみまで機械化されている。

便利になった面も当然あるが、機械のしくみもわからぬうちに使っているので、逆に我々人間が機械に使われているかの印象を持つ。

祖父の代から使っていたこれまでの生活道具は、その作り方から仕組みまで理解した上で使っていた。道具の工夫や知恵が手に取るようにわかっていたのである。

昨年(昭和50年)に、文化財保護法が改正され、後世に伝えるべき「文化財」として、これまでの生活道具も「民俗文化財」として保存すべきこととなった。愛媛でも年内には生活道具(民具)を集めた県の歴史博物館が開設されると聞いている。

これからは、先祖からの知恵と工夫の詰まった生活道具を大切に保存し、後世に伝えるため、何らかの活動を自分自身も行っていこうと思っている。 以上。

そして、驚くことに、この投稿者の名前は「ペンネーム 怪人れきはく(東京都在住・73才)」と書かれている。

今から32年前に、「怪人れきはく」を名乗る人物がいたのである。しかも、投稿内容が、今回、博物館にとどいた挑戦状と似ているではないか!

さらに、1976年時点で73歳という年齢。この人物が今回の挑戦状の送り主だとすると、105歳?

いやいや、怪人れきはくを目撃した職員の証言では、若い男性だったというから、同一人物とは考えにくい。謎は深まるばかり・・・。

(この話はフィクションです。)

ことわざになった道具たち―その4―帯に短し、たすきに長し。

2008年12月27日

帯に短し、たすきに長し
帯に短し、たすきに長し(イラスト 菊池安希子)

帯とは、きものの上からおなかに巻いて結ぶ長い布のことです。
たすきとは、袖をたくしあげてまとめるひものことです。
帯のほうがたすきより長いのですが、帯にするには短いし、たすきにするには長すぎる布のように、中途半端で役に立たないことをいいます。

例 まちあわせには時間があるし、お買い物するには時間がないし、帯に短し、たすきに長しよねえ。

帯
「昔の道具の謎をとけ!」展に展示中の帯(当館寄託)
この帯には画家が直接絵を描いてあります。絵を描いたのは、今治市出身の画家、大智勝観(おおちしょうかん)(1882-1958)です。
勝観らしいおおらかな筆によるアザミ模様の帯です。