特別展江戸考古紹介(36)ミニチュアおもちゃ

2008年12月7日

県民館跡地出土土人形
県民館跡地出土ミニチュア(愛媛県教育委員会蔵)

 松山城三之丸の武家屋敷跡から、土製や陶磁器製のミニチュア人形がたくさん見つかっています。
 犬や兎、狐、熊などの動物や、大黒、恵比寿、天神、虚無僧などの人物像があります。これらは民間信仰と結びついて作られたようです。なかには、犬猿の仲であるはずの犬と猿が抱き合っている人形もみられます。
 台所用品をそのまま小さくした、片口や土瓶などのおままごと道具や東屋や燈篭などの箱庭道具が見つかっています。ほかに鳩笛・型抜きなどのおもちゃも見られます。
今も変わらぬ、江戸の人たちの小さなものを愛でる心をうかがいしることができます。

 特別展「掘り出されたえひめの江戸時代」は本日で終了いたしますが、考古展示室で県民館跡地などから出土した土人形や化粧道具などを特集しますので、ぜひご来館ください。

特別展江戸考古紹介(35) 文字の書かれた土器

2008年12月6日

県民館跡地出土墨書土器
県民館跡地出土墨書土器皿(愛媛県教育委員会蔵)

 遺跡からは、文字の書かれたやきものが出土することがあります。
 書いてある文字がわからないものも多いのですが、松山城三之丸の武家屋敷から出土した土器には見込みに「やいと」と書いてあります。これは「お灸」のことです。この地方の方言で書かれていることが注目されます。武士たちがお灸に使った土器なのでしょうか?資料からは、堀之内の武士たちの日常生活を垣間見ることができます。

特別展江戸考古紹介(34) エコな生活

2008年12月5日

県民館跡地出土段重
県民館跡地出土染付段重蓋(愛媛県教育委員会蔵)

 現在、私たちは陶磁器が壊れた場合、ほとんど廃棄します。ところが、江戸時代の人々は割れた陶磁器は廃棄しないで、割れ口を接着して使用していたようです。
 写真は、茶色のつなぎ目にみえるのが「焼継」(やきつぎ)という技法で再生されたやきものです。江戸時代後期になると、白玉というガラス質の接着剤で割れた陶磁器を接着する「焼継師」という専用の職人が出現しました。焼継は、新製品を購入するよりも安価だったので、流行したとされています。松山城三之丸の武家屋敷跡からも焼継されたやきものが多数見つかっています。武士たちがものを大事にしていたことがうかがえます。

特別展江戸考古紹介(33) 武士の園芸趣味

2008年12月4日

県民館跡地出土植木鉢
県民館跡地出土染付植木鉢(愛媛県教育委員会蔵)

 江戸時代後期には、武士や町人の間で、松、菊、梅、朝顔などの植木や盆栽がさかんに行われていました。当初は、甕や壺の底部などに穴を開けて、植木鉢として使用していましたが、次第に底部に穴の開けられた、専用の植木鉢が作られるようになりました。
 宇和島藩江戸屋敷では、高級な色絵の香炉に穴を開けて植木鉢に転用したものも見つかっています。松山城の堀之内の武家屋敷から、瓦質や土師質土器のほかに、陶器や山水文などが描かれた磁器製の植木鉢も見つかっています。松山藩士たちの武家屋敷でもさまざまな植物が育てられていたことでしょう。

特別展江戸考古紹介(32) 武士も飼っていた金魚

2008年12月3日

県民館跡地出土土師質土器鉢
県民館跡地出土土師質土器鉢(愛媛県教育委員会蔵)

 松山城三之丸の武家屋敷から見つかった、金魚などを飼育していたと考えられる鉢です。江戸時代には、今と違ってガラスの金魚鉢などは大変高価でしたので、多くは口縁部の大きな鉢などで金魚を飼育していました。金魚も上から鑑賞できる品種が改良され、大変もてはやされたことが浮世絵からもうかがえます。
 堀之内に住んでいた松山藩士も、このような鉢のなかで金魚を愛でていたことを想像すると、とても親しみがわいてきます。

特別展江戸考古紹介(31) 武士も飼っていたペット

2008年12月2日

県民館跡地出土餌猪口
県民館跡地出土餌猪口と擂鉢(愛媛県教育委員会蔵)

 松山城三之丸の武家屋敷から見つかった、小さなやきものです。鳥などを飼育する際に使用したと考えられる、えさ入れとえさをつくるための小さな擂鉢です。近郊の窯である西岡焼でもえさ入れが見つかっていることから、需要があったことがわかります。
 江戸時代には、小鳥を飼育するのがはやっていたとされています。これらの遺物から堀之内に住んでいた松山藩士たちも、小鳥などを飼って、鳴き声を楽しんだり、姿かたちを愛でていたことを想像されます。

特別展江戸考古紹介(30) 武士が使った煙管

2008年12月1日

県民館跡地出土煙管
県民館跡地出土煙管(愛媛県教育委員会蔵)

 松山城三之丸の武家屋敷からは、煙草を吸うための道具である、銅製の煙管がたくさん見つかっています。吸口と雁首は金属製のため残存していますが、その間は、竹などで作られていたため腐って、現在は失われています。
 浮世絵にも長い煙管をもった遊女が多く描かれていることから、江戸時代にはタバコが好まれたことがうかがえます。

特別展江戸考古紹介(29) 江戸時代の髪飾り

2008年11月30日

県民館跡地出土笄
県民館跡地出土ガラス笄他(愛媛県教育委員会蔵)

 松山城三之丸の武家屋敷から出土した細い棒状の製品は、ガラスでできた笄です。おもに髪をまとめるのに使用されました。黄色や青、緑、白いガラスが見られます。ねじった形のものもあります。黄色のガラスには、葉の文様が彫刻されています。これらは鉛ガラスのため、風化して表面に粉を吹いているものもあります。
 遺跡出土の笄は現在は折れて短くなっていますが、当時は女性の髪を美しく飾っていたと想像されます。

特別展江戸考古紹介(28) 江戸時代の化粧道具

2008年11月29日

県民館跡地出土化粧道具
県民館跡地出土化粧道具(愛媛県教育委員会蔵)

 松山城三之丸の武家屋敷から、たくさんの化粧道具が見つかっています。武家屋敷には、男性だけでなく女性もたくさん住んでいたことがうかがえます。
 後列の左の大きな染付の碗は、鉄漿の際に、口をゆすぐのに使用されたと考えられる、うがい茶碗です。見込みにはなすびの文様が描かれています。後列の色絵の段重には、白粉が入れられていたと考えられます。女性好みの色絵の製品です。手前の伏せている小碗は紅猪口と呼ばれる、中に紅が塗られ、筆などで口紅を塗るための道具です。使用しないときは伏せて置かれていました。紅は大変高価なもので、小さな容器がたくさん見つかっています。

特別展江戸考古紹介(27) 武士が使った文房具

2008年11月28日

県民館跡地出土石硯
県民館跡地出土石硯(愛媛県教育委員会蔵)

 現在、私たちは筆記用具といえば、鉛筆、ボールペンなどを使っていますが、それも今はパソコンになりかわりつつあります。江戸時代にはそんな便利な道具はありませんでした。硯に墨を入れて墨を磨って筆で文字を書いていました。松山城三之丸の武家屋敷からは、さまざまな大きさの石の硯が見つかっています。
 石の硯でありながら、色もさまざま見られます。左から2番目の赤い硯は、現在の山口県でつくられた赤間硯です。後ろに「赤間硯」と刻字されているものもあります。遺跡からはたくさん見つかっていますので、大変好まれていたのでしょう。