「村上海賊の世界」展示資料紹介(2) 水軍を率いた加藤嘉明

10月 3日 金曜日

10月19日まで愛媛県美術館(松山市)を会場に開催中の4館合同特別展「村上海賊の世界」。
歴史文化博物館出展資料の紹介シリーズ、第2回です。

戦国の世を終わらせ天下統一を果たした豊臣秀吉は、天正20年(文禄元年、1592)からと慶長2年(1597)からの2度にわたって朝鮮半島へ軍勢を送り込みます。
当然、日本から海を渡っての進軍には、海上輸送が不可欠となります。また、沿岸部の拠点や制海権の確保も重要になってきます。

そこで大きな役割を担った存在が水軍でした。
この時の船手衆として、戦国時代から水軍として名高い来島村上氏、九鬼氏をはじめ、脇坂氏、藤堂氏、菅氏などの活動が知られますが、加藤嘉明も水軍を率いて参戦しました。
嘉明は、文禄の役の際には淡路国志智城主でしたが、文禄4年(1595)に伊予国松前6万石を与えられ伊予の大名となりました。
その後、慶長の役での戦功により慶長3年(1598)に10万石に加増されることになりますが、その時に豊臣秀吉から与えられた朱印状を今回展示しています。

 

冒頭に柴田合戦(賤ケ岳の合戦)の一番槍の功績に触れ、次いで朝鮮での水軍としての数度の戦功を賞しています。また、激しい籠城戦が展開されたことで有名な順天城・蔚山城について、諸将が連判で上申した城の放棄案に賛同しなかったことも賞され、10万石への加増となりました。

嘉明は、慶長の役では六番隊に編成されますが、そこには同じ伊予の大名で水軍を率いた来島村上通総や藤堂高虎らも配属されていました。伊予には水軍を率いる大名たちが何人も配置されていたことになります。

来島村上氏は、文禄の役で通幸、慶長の役では当主通総が討死しており、激しい海戦を展開していた様子がうかがい知れます。
一方、能島村上氏や因島村上氏も、中国地方の雄毛利氏の配下として出陣し、毛利氏の拠点の確保や合戦に加わっています。

秀吉は、天正16年(1588)にいわゆる海賊停止令によって海賊行為を禁止しますが、村上氏ら海賊衆は依然海上機動力を有していたはずで、加藤嘉明など伊予の大名らとともに豊臣政権下においてもその機動力を期待され、発揮していたといえるでしょう。

4館合同特別展「村上海賊の世界」は、10月19日(日)まで愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催中(歴史文化博物館ではございません。ご注意ください。くわしくはこちら
入場無料です。ぜひごらんください!

「村上海賊の世界」展示資料紹介(1) 木津川口合戦の一場面

9月 28日 日曜日

9月27日から愛媛県美術館を会場に開幕した4館合同特別展「村上海賊の世界」。
当館も主催者の一員として、多数の歴史資料を出展しています。
どんな資料がご覧いただけるのか、少しだけご紹介しましょう。

最初に紹介するのは、「絵本拾遺信長記」に描かれた木津川口合戦の一場面です。
木津川口合戦「絵本拾遺信長記」
木津川口合戦とは、天正4年(1576)7月、海賊衆村上氏らと織田信長勢が大阪湾で激突した海戦です。
和田竜氏の小説『村上海賊の娘』の主題としても取り上げられています。

この年、織田信長は、反信長の立場を鮮明にしていた大坂本願寺に対し、大軍を動員して周囲を包囲しました。
この動きに対し、毛利輝元は、反信長行動に立ち上がることを決意し、本願寺救援のため水軍を向かわせましたが、この水軍の中核をなしたのが海賊衆村上氏で、来島村上氏の当主村上通総(みちふさ)の重臣村上吉継、能島村上氏の当主村上武吉の嫡男・元吉や従弟の景広、因島村上氏の村上吉充(よしみつ)らが船団を組織しました。
彼らは木津川(現淀川)河口付近で織田方の水軍と激突し、これに勝利して大坂本願寺へ救援物資を搬入することに成功しましたが、信長側の史料によれば、この時村上氏らは、織田方の大船に対して「ほうろく火矢などという物をこしらえ」「船を取籠め、投げ入れ、焼き崩し」たとあります(「信長公記」)。

「絵本拾遺信長記」は、織田信長対大坂本願寺等の一連の戦をまとめた絵入りの読物で、江戸時代後期に刊行されました。
同書によれば、木津川口合戦の際、織田方の兵100人余りが乗船している大船に対し、村上景広は小船を寄せて、熊手をかけて飛び乗ろうとしますが、織田方に熊手の柄を切り取られ、景広は自分の船にどうと落ちます。
しかし、景広の船に侵入してきた織田方の将を切り倒した景広らは、再び織田方の大船に乗り移り、船内を飛び回って兵を倒していきます。織田方は狼狽して、村上方の小舟に飛び乗ってそこで討たれる者や、海中に飛び込んで浮き沈みする者が続出し、ついに景広らは織田方の大船一艘を乗っ取った、と記されています。

木津川口合戦において、実際にこのような戦闘があったのかどうかは定かではありませんが、今回展示している場面で、右手に描かれた織田方の大船に対し、左手に描かれた村上氏の船はまことに小さく、熊手をかけて敵船に乗り移ろうとする様子は、いかにも戦国期の村上氏の姿を彷彿とさせます。
あわせて展示している安宅船模型や関船模型、古文書等とともに、海賊衆の活動の一端に思いを馳せていただければ幸いです。
安宅船模型その他
4館合同特別展「村上海賊の世界」は、10月19日(日)まで愛媛県美術館(松山市堀之内)で開催中(歴史文化博物館ではございません。ご注意下さい。くわしくはこちら
入場無料です。ぜひごらんください!

「瀬戸内しまのわ2014」4館合同特別展「村上海賊の世界」開催について

9月 24日 水曜日

本展覧会は、総合科学博物館、歴史文化博物館、図書館、美術館の県立4館が合同企画したもので、村上海賊の歴史資料をはじめ、生活の舞台としていた瀬戸内海を描いた美術作品など、ジャンルを超えて村上海賊の世界を紹介します。

瀬戸内海は古くから多くの船が行きかう交通の大動脈で、戦国時代、海賊衆の村上氏は、その要衝である芸予諸島を拠点に、海の武士として存在感を示しました。「瀬戸内しまのわ2014」の開催や和田竜氏の小説『村上海賊の娘』の2014年本屋大賞受賞により、海を舞台に生きた村上海賊に今改めて注目が集まっています。

本展をご観覧いただいた方が、村上海賊について理解を深め、「瀬戸内しまのわ2014」の多彩なイベントに足を運ぶきっかけとなれば幸いです。

会期中、入場記念品として、みきゃんの村上海賊バージョンのオリジナル缶バッジをプレゼントします(記念品がなくなり次第、終了します)。
会場風景
1 展覧会名
4館合同特別展「村上海賊の世界―その風土と文化―」

2 開催日
平成26年9月27日(土)~10月19日(日)
(休館日:9月29日(月)、10月7日(火)、10月14日(火))

3 開催場所
愛媛県美術館 2階 常設展示室3
松山市堀之内
(電話番号)089-932-0010(FAX番号)089-932-0511
※歴史文化博物館ではございません。ご注意ください!

4 観覧料
無料

5 主催
愛媛県教育委員会(総合科学博物館、歴史文化博物館、図書館、美術館)

6 特別協力
今治市村上水軍博物館、イヨテツケーターサービス株式会社、愛媛県生涯学習センター、新潮社

くわしくはこちら(外部リンク)をご覧ください。

みなさまからのメッセージ

9月 15日 月曜日

7月12日から開催した特別展「忍たま乱太郎 忍者の世界―夏休みは歴博へ急げ!の段―」は、本日17:30、終了いたしました。
会期中はご家族連れや忍たまファンの方々など、大変多くの皆様に楽しんでいただきました。
博物館職員一同、心よりお礼申し上げます。

特別展の会場内で、ご来場いただいた皆様に、忍タマたちへ応援メッセージを書いていただくコーナーを設けたところ、小さなお子さまから大人の方まで、たくさんのメッセージをいただきました。
皆様の熱い思いがひしひしと伝わり、会期中何度も掲示を貼り替えました。
本当にありがとうございました。
応援メッセージ1
応援メッセージ2
当館は、10月11日(土)から開催する秋の特別展「続・上黒岩岩陰遺跡とその時代 -縄文時代早期の世界-」をはじめ、さまざまな展覧会、体験ワークショップや講座など、今後も子どもから大人まで楽しめる各種事業を展開していきます。
引き続き、歴博の活動にご注目ください!

忍タマと伊予の茶堂

9月 13日 土曜日

アニメ「忍たま乱太郎」の原作『落第忍者乱太郎』最新巻の55巻では、外部の者も利用できる休憩の場として「辻堂」が登場します。
『落第忍者乱太郎』55巻P43(抜粋)
『落第忍者乱太郎』55巻P60
原作者の尼子騒兵衛先生によれば、この辻堂の描写は、四国や中国地方にみられる「茶堂」を参考にされたそうです。

茶堂とは、集落の入口の道沿いなどに建つ小さな堂で、一面に石仏を祀り、三面は壁を設けず吹き放しとした開放的なつくりになっています。
街道を行く四国遍路や旅人の憩いの場として、また地元の講や念仏行事の場として機能したもので、四国では特に愛媛県から高知県にまたがる四国西南部に多く現存しています。
尼子先生が直接取材された対象の一つは民家博物館「四国村」(香川県高松市)に展示されている茶堂とのことですが、この茶堂は、もともと江戸時代末期の19世紀中頃、愛媛県北宇和郡川上村(現北宇和郡鬼北町)に建てられた茶堂を移築したものです。
つまり伊予の茶堂が、原作のモデルの一つになっているのです。

四国の茶堂の成立は、史料上16世紀末までさかのぼることができます。天正15年(1585)から慶長年間にかけて長宗我部元親が土佐一国を検地した「長宗我部地検帳」という史料の中に「茶屋堂」「茶庵」などの田畑の地名がみえることから、遅くとも中世末期には茶堂が存在していたとされています。

現存する茶堂は、古いものでも江戸時代末に建てられたもので、中世末期当時の茶堂がどのようなものであったかは史料が残っておらず不明です。
しかし、鎌倉時代に作られた絵巻『一遍聖絵』には、伊予桜井や伊予窪寺の場面などで、壁面を吹き放しにし、低い床を張った小屋がいくつか描かれており、茶堂との共通点が多く、茶堂の建築は中世の辻堂を継承するものとみてよい、との指摘もあります(清水重敦・松本将一郎・恵谷浩子「景観構成要素特論」『奈良文化財研究所学報第89冊 四万十川流域文化的景観研究』第4章、2011年)
尼子先生は、こうした茶堂の建築構造を、『乱太郎』の物語世界に取り込んでいるのです。

ちなみにこの茶堂、当館の常設展示室(民俗展示室3)にも展示されています。
原作に描かれている辻堂とよく似ていませんか?
茶堂
この茶堂、写真撮影は自由にできますが、展示品のため、原作のように床の上でお弁当は食べられませんのでご了承ください。

特別展をごらんになった際は、ぜひこちらもごらんいただき、忍タマたちや当時の歴史に思いを馳せていただければ幸いです。

愛媛忍たま展は9月15日(祝・月)まで。
会期も残すところほんの少しです。お見逃しなきよう!

博物館実習終了

8月 27日 水曜日

8月19日から24日までの予定で行った博物館実習も無事終了しました。23日の午前中は、実習生が立案した民俗資料の展示替えを行いました。3カ所のガラスケースに弁当箱、野鍛冶道具、牛鬼の置物を展示しました。実習生は、資料の置き方、解説ラベルの内容など、観る側の視点に立って展示できたようです。実習生の展示は、民俗展示室2(海・里・山のくらし)で12月頃まで展示しています。ぜひ、御覧下さい。
また、23日の午後からは、歴史文化講座「ガラス玉をつくってみよう」の補助を行いました。ガラス棒をガスバーナーで溶かして、金属の棒に巻き取るのですが、火を扱うため事前研修を受けて臨みました。ガラスが割れないようにゆっくりと加熱し、火傷などがおこらないよう安全に気を付けました。参加いただいた子どもたちの「ありがとう」の言葉に、実習生も喜んでいました。24日はエントランスホールで、折り紙を使った変形手裏剣づくりの補助を行いました。接客対応にも少し慣れた様子でした。
実習生には、学芸員はもとより今後どのような道に進まれようとも、今回の実習は何らかどこかで活きるときがあると思います。実習生の皆さん、6日間お疲れ様でした。今後もお元気で。

牛鬼の置物の展示

ガラス玉作りを補助する実習生

手裏剣作りを補助する実習生

のれんと忍タマと『孫子』

8月 26日 火曜日

特別展「忍たま乱太郎 忍者の世界」は、おかげさまで大変多くの方々にご来場いただいています。
今回は、忍術学園の看板に続き、展示準備の際の裏話を一つ。

展示室の構成をあれこれ検討していた時のことです。
展示コーナーを区画するため、担当はコーナーとコーナーの間をのれんで仕切ることにしました。
そこまで考えて、はたと困りました。
「のれんをどんなデザインにしよう?」

あれこれ悩んでいた時に、原作第41巻の表紙が目に飛び込んできました。
第41巻表紙

具足をつけた忍タマ3人組の脇に、旗指物が描かれています。
白地の旗で、上部に青の二つ引を入れ、二行に渡り漢字が書かれています。
右行は「難知」、左行は「動如雷霆」と記されています。
この旗の右下はちょうど画面から切れていて、右行のうち完全に見えているのは上の二文字のみですが、隠れた下の二文字は「如陰」であることは明らかです。
尼子騒兵衛先生がここに記しているのは、中国最古の兵書『孫子』の一節なのです。

『孫子』軍争篇第七に、軍争の原則について書いた部分があり、その中に「難知如陰」「動如雷霆」という句があります。
それぞれ、「知り難きことは陰のごとく」「動くことは雷の震うがごとく」、と読み、「暗闇のように分かりにくくし」「雷鳴のようにはげしく動く」という意味になります(金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年)による)。

ちなみに、この句の前後は「疾きことは風の如く、其の徐(しず)かなることは林の如く、侵掠することは火の如く、知り難きことは陰の如く、動かざることは山の如く、動くことは雷の震うが如くにして」という文になっていて、戦国時代の武将・武田晴信(信玄)もこの文の一部を軍旗に記しており、「風林火山」の通称で良く知られています。

それにしても、暗闇のように分かりにくくし、動くときは雷鳴のようにはげしく動くとは、まさに忍者の心得を彷彿とさせる一節です。
事実、原作第38巻P33で、「難知如陰」は忍術学園内の貼紙としても掲示されています。
忍術学園教室

これしかない、と担当は確信しました。
こうして表紙絵にちなんで作った一枚目ののれんが、こちら。
展示室のれん
どうでしょうか?
のれんは全部で三枚。各展示コーナーごとの仕切りの役目を果たしているにすぎませんが、どれも「乱太郎」へのこだわりが込められています。

本特別展は9月15日まで開催中。ぜひ会場でご覧になってください!

博物館実習

8月 21日 木曜日
8月19日(火)より博物館実習が始まりました。
博物館実習は、博物館法で学芸員資格を得るために課されているもので、学芸員の仕事を実際に経験します。当館では今年3名の実習生を受け入れました。歴史・民俗・考古資料の整理や講座の補助などを行います。
20日(水)の実習では、民俗資料を用いた展示実習が行われました。学芸員から牛鬼の置物、野鍛冶道具、弁当箱が与えられ、展示を考えるというものです。実習生は展示の流れ、資料名、展示方法、ラベルの内容や大きさなどについて、相談をしながら展示を立案していきました。23日(土)に再び民俗資料の実習を行い、実際に常設展示室の展示替えを行う予定です。さて、どのような展示ができるでしょうか。
実習は24日(日)まで6日間行われます。実習生の皆さんには1つでも多くのことを経験してもらいたいと思います。残暑が続きますが、体調管理に気を付けて頑張ってください。
博物館では、このように次世代の学芸員を育成する役割も担っています。博物館実習を行うためには、学芸員の事前準備や実習中の指導も大変ですが、初心に戻って仕事内容を振り返る機会ともなります。
民俗資料の展示を立案する実習生

特別展「忍たま乱太郎 忍者の世界」入場者1万人!

8月 16日 土曜日

平成26年7月12日から好評開催中の特別展「忍たま乱太郎 忍者の世界‐夏休みは歴博へ急げ!の段‐」は、8月16日(土)午後に入場者1万人目を突破し、記念行事を行いました。

1万人目のお客様は、松山市からお越しの大政さんご家族。
特別協力いただいているJA全農えひめ様からご提供いただきました、乱太郎印の「えひめ野菜セット」が贈呈されました。
乱太郎えひめ野菜(JA全農えひめご提供)
続いて、当館マスコットキャラクター「はに坊」より、「忍たま乱太郎」原作者の尼子騒兵衛先生のサイン色紙及び記念品を贈呈しました。
尼子先生サイン記念品プレゼント
はに坊と記念撮影。
1万人記念写真
大政さんは、毎日テレビで忍たまを見ていて、今日特別展をみるためにご来館いただいたそうです。

見て、体験して学べる特別展「忍たま乱太郎 忍者の世界」は、9月15日(月・祝)まで開催中。
愛媛忍たま展、皆様のご来場を心よりお待ちしています!

尼子騒兵衛先生が新作を描き下ろしてくださいました!

8月 13日 水曜日

尼子騒兵衛先生が、本特別展のために描き下ろしてくださった新作2点を、8月13日(水)から公開します。
2点の新作は、いずれも本展で特に取り上げている瀬戸内海の海賊集団「兵庫水軍」を題材としています。

1点目は「兵庫水軍 船中の四功之図」と題された作品で、「乱太郎」の世界に登場する「兵庫水軍」のうち、船頭の由良四郎(ゆらしろう)、舵取の蜉蝣(かげろう)、手引の疾風(はやて)、山立の鬼蜘蛛丸(おにぐもまる)が勢揃いです。
船中の四功之図
なお、「船中の四功」とは、軍船の長である「船頭」、舵を操作する「舵取」(かじとり)、水先案内する「山立(やまだち)」、帆を操作する「手引」の四名を指します。水軍書の中にも実際に登場する用語です。

2点目は、「船中の四功 山立・鬼蜘蛛丸」と題された作品です。白波が湧き立つ瀬戸内の海を背景に、兵庫水軍の「船中の四功」の一人、鬼蜘蛛丸を描いています。
鬼蜘蛛丸
潮風を浴びる鬼蜘蛛丸の上部には、次の賛が記されています。

滄海(そうかい)に
漢(をとこ)有けり
瀬戸内の
静寂(しじま)を破り
風を呼べ
兵庫水軍 海は
我等が庭の池

本作品は尼子先生がこれまで描いた一枚の彩色作品としては過去最大の大きさとのことです。
なお、尼子先生の創作過程を知ることができる「船中の四功之図」の下書きもあわせて展示します。

見て、体験して学べる特別展「忍たま乱太郎 忍者の世界」は9月15日(月・祝)まで開催中。
まだ本特別展をご覧になっていない方はもちろん、一度ご覧になった方もぜひご来場ください!